20180528
政治指導者にポピュリストや内輪の大将が増えて、政策がかつて仮初にも纏っていた大義が剥落し、恣意的なものであることが晒し出されてきた。ステートメントなど何の拘束力もなく、べき論と不満を述べても何も変えることができないことを、当たり前に受け入れるべき時代。インターネットもまた、自由の衣をまとった誘導と収奪の場であること、衣の下に何でも隠せてしまえるがゆえに、あるいは中庸のなさゆえに、コードが必要であることが透けてしまった。
90年代半ば以降20年近く続いた盲信、「インターネットが自由にする」=Yes we can な世界的思潮は、結局は何も善を生み出さないまま、難民の急増をインデックスとして、この23年ですっかり過去のものになってしまった。
いまからは、大義なく私利のために脅したり隠れたりするゲリラ戦世界が展開していくのだろう。
そこでは、お金でも資産でも生産背景でも追従者でも、誰もが欲しがる何かのリソースを持ち、かつ、それをステルス化するなり隠れるなり強大者に阿るなり戦うなりして、護ること増やすこと、攻撃者(対立者だけでなく、何を考えているか分からない乱入者、公権力などの狼)による多少の錯乱や簒奪にビクともしないことが重要になるだろう。公然と法をねじ曲げるたり潜ったりするグループが増え、それがルールとして是認されて、「得たもの勝ち」になっていく。インターネットは単なる道具として使い潰されていく。聖域はない。他者への信頼はリスクに分類され、対策を必要とする。
いや、いままでもそうだったがうまく化けていただけかもしれない。たんに縋りたい幻想のベールが剥がれて赤裸々を目にしただけかも。
例えば、今になってようやくネット接続した自動車が、手練にとっては美味しい標的であることを、ウブな自動車技術者とそれを信頼する運転者は思い知るだろう。
管理や制御から逃れてステルス化することが、重要な生きる技術になるだろう。お金とインターネットから逃れること。
コメント
コメントを投稿