大局的見地から
これから英語を教えるにあたって、大局的な 現地からみて最も大切なことを、一番最初におしげもなくどーんと伝えておきます。
僕のことを先生と呼ばないように言ったよね。 正しくは呼ぶべきではないということ。 なぜなら 人生の先生を北極星とするならば、 僕はその真逆、裏の北極星。 ぼくを反面教師にして生きていけば 君は きっとうまく 生きていくことができるだろう。
なぜなら、僕には社会を上手く泳ぐ能力、たとえば、人との関係をうまくコントロールする力が とても欠けているから、 そして 、たぶんそれらは社会で生きていく中で非常に大切な能力であるから。
これから学ぶ中学校高校の学科は、英語にかぎらず、とても特殊な価値観が通用する世界だ。なぜなら、その世界を支配するのは、教科内容でいえば論理性であり、ヒトの評価でいえば点数だけだから。つまり、筋道を通し、点数がとれれば評価される というシンプルで分かりやすいルールが支配する世界。 人間関係をコントロールする力がなくても その教科を攻略できれば良い評価を得ることができる。
しかし、(勉強ではなく)学問を志したり、 社会の中で、 例えば 会社で働くという局面になると、そこにあるのは人間関係が渦巻く多様な価値尺度の交錯だ。この切替ができず、勉強から足を洗えない大人が、実は予備校教師の中にたくさんいる。 何をかくそう僕も、社会には出たけれど、そういった人たちのひとりだ。
だから、 これから英語の攻略法とか 文章の読み解き方といったことを教えていくけれども、それらはあくまでも勉強のテクニック であって、一つの技能に過ぎない ということを肝に銘じて欲しい。勉強で評価された先に 何かやりたいことがあるのではなく(成績が良いとそういった幻想を抱きがち)、見聞を広げて自分のやりたいことを探し、見つけて進んでいくなかで、勉強で身につけた技能を活かすという考え方が非常に大切だ。ま、当たり前なことなのだけれど。
仕事が限られ情報ソースが限定されている(天草や日本という)田舎で、しかも、学校中心の狭い世界にいると、自分の将来に対する展望も狭いものになりがち。
一方、英語は、英米人のネイティヴ言語というだけでなく、いまや、手っ取り早い世界の共通語になっていて、ノンネイティヴの
平易なもしくはちょっと怪しげな英語がネットには溢れている。つまり、裾野が広い。だから、英語でニュースに接していると、世界の有象無象の動きが複眼的によくわかる。たとえば、国情調査のためにイスラム国を訪れたドイツ人の個人レポートなんて、英語でしか読めない。
だから、 見聞を広げて自分のやりたいことを探し、見つけて進んでいくために、英語を読める技能は役に立つ。そして、読むことができれば、書くことも話すこともできるようになる。だから、読み書きの基本を押さえつつ、読解中心に進めていく。
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